キャンパスリポート
ワクワクやドキドキがつまった「哲学」について
2016年4月18日
今年度も新入生の皆さんを迎え、4月11日より授業が開始されました。新入生は英語科目を中心に履修しながらも、各学問分野への導入の役割を果たす教養科目を履修し、視野を広げてゆきます。今回のリポートではそのような教養科目群に位置付けられる、「哲学」について紹介します。今春も新入生を含め多くの履修者が哲学の教室に集まってくれました。
哲学というと、抽象的で難解だ、それに暗くて重いというイメージがあるかもしれません。しかし本当は、哲学とは、ふだんの生活で当たり前だと思っていること、知っているつもりになっていることに改めて新鮮な気持ちで向き合い、そこに秘められた豊かな意味を新たに発見することなのです。ですから、哲学することには、いつもワクワクやドキドキがたくさんつまっています。無味乾燥で苦渋を強いるものというより、思いがけない気づきによって人生に奥行きを感じさせるものと言ってよいと思います。
授業では、大切なのは、安易に出来合いの答えに飛びつくことではなく、哲学的な問いを粘り強く探求することだと学生たちに伝えています。哲学の場合、問いそのものが前方を照らし出す光になるのです。日常生活のなかで発する問いには、予め目的が決まっていて、それを実現する方法を尋ねる問いかけが多いように思います。駅はどこですか、とか、履修登録は何単位まで可能ですか、といった問いです。こういった問いにどのような答えが与えられるかによって、人生の向かう方向も少しは変わってくるでしょうが、人生観全体が大きく転換するとは考えられません。ところが、哲学的な問いの場合は違います。授業で取り扱うのは、例えばこんな問いです。「私にとって世界が現れるようになったのは私の誕生以降のことなのに、なぜ私は、私が生まれる前から世界が存在していたと考えるのだろうか」。「私に見える世界は脳による情報処理の結果であるとすると、私が見ているのは私の外にある世界なのだろうか、それとも脳の中なのだろうか」。このように問うことによって、自分と世界がまるごと問いにさらされるようになり、世界と私の存在そのものが解き明かされるべき謎として感じられてきます。哲学の問いは、私たちを大きく揺さぶるのです。揺さぶられることによって、世界と私は奥行きを増していきます。世界は、問いを発する前となんら変わることなく存在し続けているのに、それにも関わらずすべてが変わったように感じられてくることさえあります。哲学の醍醐味を感じるのは、そんなときなのです。
英語科教授 丹木博一
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